はじめに
日本人にはお酒に強い人(上戸とよばれます)、弱い人、あるいは飲めない人(下戸とよばれます)がいます。お酒に強いとか弱いというのは、実際は、お酒に含まれているアルコール、正確にはエチルアルコール(別名エタノール)に対する感受性のことです。酒の巻では、お酒に弱い人や下戸は、モンゴロイド(黄色人種)に生じたアルコール分解に関与する酵素の遺伝子の突然変異が原因で生まれることや、アルコール依存症、アルコール性肝障害などについて説明します。お酒は楽しく適量を飲んでこそ「百薬の長」たりえますので、アルコールで身を滅ぼさないための正しい知識を身につけて頂ければと思います。
続いて、お酒を楽しむための雑学として、農耕を始めてから約1万年の歴史を持つ人類の叡智の産物であるワイン、シャンパン、ブランデー、ビール、ウイスキー、日本酒、焼酎などのお酒の種類と歴史、造り方などについて紹介していきますので、お酒の席の話しの種にでもなれば幸いです。
下戸は遺伝である
日本人にはお酒を少々飲めるが弱い人あるいは全く飲めない人がいますが、お酒が飲めないからといって劣等感をもつ必要はまったくありません。お酒が沢山飲めるか飲めないかは親からの遺伝で決まっており、先天的なものですからどうしようもないのです。努力しても飲めるようにはなりません。逆に、後述するように、お酒を沢山飲める人ほど健康を害する割合が高まるようです。
飲んだアルコールの約20~25%が胃で吸収され、約75~80%が小腸で吸収されます。吸収されたアルコールは肝臓という臓器で主として図3-1の経路で代謝されます。
ここで①の反応はアルコール脱水素酵素が行い、②の反応はアルデヒド脱水素酵素が行います。①の酵素はアルコール量に応じて量が増加するので(このような酵素を誘導酵素といいます)、飲酒家では①の反応は非常に早く、アルコールによる陶酔効果が減少しています。アセトアルデヒドは頭痛、おう吐、二日酔いの原因となりますので、速やかに②の反応により酢酸に代謝される必要があります。また、このアセトアルデヒドのせいで顔や体が赤くなる、ドキドキする、眠くなるというフラッシング反応がおこります。酢酸は私たちが普段よく口にする食酢に含まれているもので、体内ではエネルギーを産生するために使われたり、脂肪に変換されたりします。お酒をたくさん飲むと、体はエネルギーで十分満たされていると認識されますので、アルコールは脂肪に変えられて肝臓に貯まり、脂肪肝を引き起こします。お酒の飲み過ぎには気をつけたいものです。
さてここで、本題のお酒に強いとか弱いとかに関係するのは②のアルデヒド脱水素酵素ALDHです。この酵素には2つのタイプALDH1とALDH2がありますが、実際にアセトアルデヒドの代謝に深く関係しているのはALDH2の方です。ALDH2は500個のアミノ酸が直鎖状に連なったタンパク質であり、お酒に強い人は487番目のアミノ酸がグルタミン酸なのですが、お酒に弱い人はこれがリシンというアミノ酸に変わってしまっているのです。遺伝子に詳しい読者のためにもう少し説明を加えるならば、この487番目のアミノ酸を指定するコドンがGAAからAAAに点変異しているのです。487番目のアミノ酸がグルタミン酸である酵素(コドンがGAAであるのでG型とします)は正常な活性をもっているのですが、このアミノ酸が突然変異でリシンに変わった酵素(コドンがAAAであるのでA型とします)は全く活性がないのです。色の巻「突然変異と遺伝」のところでお話ししたように、ALDH2の遺伝子は父親と母親の両方から受け継いでいますので、両方の親からG型の遺伝子を受け継いだ場合はホモ接合体のGG型、両方の親からA型の遺伝子を受け継いだ場合はホモ接合体のAA型、そして一方の親からはG型の遺伝子を、他方の親からはA型の遺伝子を受け継いだ場合はヘテロ接合体のAG型の子が生まれることになります。ALDH2の酵素活性を比較してみると、GG型の活性を1としたとき、AA型の活性は0であり、AG型は1/16しかありません(詳しい説明は省きますが、この酵素が4量体のためにそのようになります)。そして、ALDH2がGG型の人はお酒に強い人(上戸)、AG型の人はお酒に弱い人、AA型の人はお酒が全く飲めない人(下戸)ということになります。
ネグロイド(黒色人種)やコーカソイド(白色人種)がお酒に強いのは、これらの人種ではALDH2がGG型だからです。これに対して、モンゴロイド(黄色人種)はお酒に強い人の割合が約50%、お酒に弱い人が約45%、お酒が飲めない人が約5%であるといわれています。およそ2〜3万年前に中国大陸でモンゴロイドの一人にALDH2遺伝子の突然変異が起こり、活性のないA型が誕生しました。そしてこの遺伝子が子孫に受け継がれ、次第に広がっていきました。中国大陸で稲作と鉄器文明をもった人たち(弥生人です)が日本列島にやってきた時に、このA型遺伝子が持込まれたようです。縄文人はG型遺伝子のみをもち、みんなお酒が強かったようです。弥生人と縄文人との混血の度合いが高い九州北部から中部、北陸にかけては、お酒がそれほど強くない人が多くみられます。一方、沖縄や九州南部、東北や北海道には酒豪が沢山いるということです。自分がアルコールに強いか弱いかを簡単に調べるためのアルコールパッチテストというのがありますので、ぜひ試してみてください。
アルコール依存症
ALDH2がGG型の人はお酒に強く、悪酔いしないのですが、アルコール依存症になる割合がAG型より6倍も高いといわれています。ヨーロッパやロシア、北米などではGG型の人がほとんどですが、アルコール依存症者の割合が4%を超える国が多く、ロシアでは9%を超えています。日本はアルコール依存症者の割合が1%程度と比較的低いのですが、それでも100万人を超えると推計されています。アルコール依存症は薬物依存症の一種で、自分の意思で飲酒をコントロールできなくなる精神疾患とみなされています。仕事をすることができなくなったり、家庭内で暴力をふるったりして自立した生活ができなくなります。自分の力でアルコールを断つことができませんので、医師の治療が必要になりますが、実際に治療を受けている人は5%に満たないといわれています。お酒に強いと自負している人は、アルコール依存症に陥らないために、お酒の飲み方には十分気を配りたいものです。
アルコール性肝障害
先にアルコールは主として肝臓のアルコール脱水素酵素とアルデヒド脱水素酵素の経路で代謝されると説明しましたが、もう1つ別にミクロソーム・エタノール酸化系(MEOS)という経路でも代謝されます。ミクロソームというのは小胞体という細胞の膜でできた細胞小器官のことです。このMEOSでのアルコール代謝は活性酸素の産生、ひいては酸化ストレスによる肝臓障害につながります。MEOSはアルコールの連続摂取や大量摂取により誘導されてきますので、このような飲酒習慣を長年続けると、肝臓を痛め続けます。肝臓は静かな臓器といわれており、痛めつけられてもほとんど悲鳴をあげません。しかしながら、肝臓は確実にアルコールによる慢性的ダメージを受け、脂肪肝や肝線維症になり、最後は肝硬変に陥ります。肝臓には胆汁色素ビリルビンを排泄したり、血漿アルブミンを合成したり、有毒なアンモニアを無毒な尿素に変換したりする重要な働きがあります。肝硬変になるとビリルビンの排泄が低下しますので、黄疸が発症します。血漿アルブミンは血漿膠質浸透圧を維持するという重要な働きがあるので、肝硬変になると、このタンパク質の濃度が下がり、腹水が貯まるようになります。また、アンモニアを処理できなくなるので、血液中のアンモニア濃度が高まり、脳の働きが低下すると肝性脳症が引き起こされます。肝性脳症になると鳥が羽ばたくように手が震える「羽ばたき振戦」という症状がでてきますし、錯乱状態や混迷に陥り、最後には意識がなくなります。このようにアルコール性肝障害は悲惨な結果を招くことを重々肝に銘じておく必要があります。
急性アルコール中毒
アルコールを一度に大量に摂取することにより、20歳前後の若い人がしばしば陥る重篤な症状に急性アルコール中毒があります。飲酒をはじめた頃は、自分のお酒の適量もわからず、また、飲むペースも早いので血中アルコール濃度が急激に上昇し、意識を失うことがしばしば起こります。通常、お酒を飲むと血中のアルコール濃度が上がるに従い「ほろ酔い期」、「酩酊期」、「泥酔期」、「昏睡期」と酔いの状態が変化していきます。ゆっくり飲んでいれば、時間とともに酔ってきたなという自覚があり、飲み過ぎると足もとがふらついたり、吐き気がしたりしますので、飲酒をコントロールできます。しかしながら、一気飲みなどで短時間に大量のお酒を飲むと、「ほろ酔い期」、「酩酊期」を飛び越えて、それこそ一気に「泥酔期」、「昏睡期」に陥ってしまい、死に至る場合があります。万が一、飲み会などで急性アルコール中毒に陥った人がいたら、決して放置しないで、すぐに救急車を呼んで、病院で治療を受けさせてあげてください。
お酒の種類と歴史
人類はいつ頃からお酒を飲むようになったのでしょうか。1万年以上前の新石器時代から、人類は蜂蜜から自然にできる醸造酒である蜂蜜酒(ミードmead)を飲んで、酔いを楽しんでいたと考えられています。蜂蜜酒はワインより古く、人類最古のお酒といわれています。蜂蜜は糖分が多く(食の巻「蜂蜜」を参照)、浸透圧が高いために微生物の繁殖が抑えられていますが、これを水で2〜3倍に薄めると天然酵母により「アルコール発酵」がすすみ、アルコールができたと考えられます。
世界には様々な種類のお酒があり、その香り、色彩が酔いとともに楽しまれています。以下、お酒の種類ごとに歴史や造り方などを紹介していきたいと思います。
ブドウ酒(ワイン)
ブドウ酒の古里は黒海に面したジョージア(旧国名グルジア)で、紀元前7,000〜5,000年頃にはブドウの栽培とワイン醸造が行われていたようです。その後、メソポタミアやエジプトへと伝わったとされています。ギリシャ神話の酒の神ディオニュソス(バッカスともよばれます)はブドウの蔓を頭にかむっていることで知られています。
赤ワイン(vin rouge ヴァン・ルージュ)は赤ブドウ(黒ブドウともいいます)を果皮ごとつぶして搾り汁をとり、果皮に付着している酵母によりブドウに含まれているブドウ糖と果糖がアルコール発酵されてできます。この時赤ブドウの果皮に含まれるアントシアニンという紫色の色素が抽出されるので、赤い色を呈するわけです。この色素はポリフェノールという抗酸化物質であり、適量の赤ワインは健康にもよいといわれています。もっとも、赤ブドウの木にできたばかりの実は、果皮にアントシアニンが含まれていないので薄緑色をしていますが、実が熟すにつれて次第に紫色の色素が生成され果皮が黒っぽくなっていきます。ブドウの果皮と種子にはプロアントシアニジンというポリフェノール(縮合型タンニンともよばれます)が含まれています。この物質はエピカテキンの重合体で、赤ワインに渋みを与えるとともに、非常に強い抗酸化能を有することが明らかにされています。
ワイン造りの科学的研究が進展したのは19世紀に入ってからです。まず、1837年に顕微鏡観察により、発酵しつつあるブドウ汁のなかに小さな微生物(酵母)が発見されました。そして、微生物学の父とよばれるフランス人のルイ・パスツールは、生きた酵母がいなければアルコール発酵という化学現象は起こらないと主張しました。しかし、1897年にドイツ人のエドアルド・ブフナーは酵母を石英砂ですり潰して搾り汁を調製し(これを専門用語で「無細胞抽出液」といいます)、これにブドウ糖やショ糖などを加えて放置すると、生きた酵母が存在しなくてもアルコール発酵が起こることを発見しました。彼はその功績「発酵の生化学的研究」により、1907年にノーベル化学賞を授与されています。アルコール発酵は実際には、ブドウ糖から始まりエタノールが生成されるまでに12の酵素反応が関与する複雑な代謝経路(この経路は現在「解糖系」とよばれています)であることが解明されています。このような歴史的経緯から、「生化学はワイン造りから始まった」といわれています。
白ワイン(vin blanc ヴァン・ブラン)は主として白ブドウを原料として造られます。
ワインにはもう1つロゼ(vin rosé)という淡いピンクのものがあります。これの造り方は色々あるようで、果皮の色の薄いブドウを赤ワインのように醸造する方法、赤ブドウと白ブドウを混ぜて醸造する方法、 赤ワインの醸造途中でアントシアニンが完全に抽出される前にブドウの皮を取り除く方法などがあります。
シャンパン(スパークリングワイン)
今から300年ほど前、フランスのシャムパーニュ地方のエペルネという町の牧師ドン・ペリニコンが、サン・ピエール修道院の酒庫に眠る若い白ワインの栓に工夫し、再発酵して泡のでるワインに変えたのが起源といわれています。この泡は、アルコール発酵の途中でピルビン酸脱炭酸酵素によりピルビン酸がアセトアルデヒドに変化するときに生成される二酸化炭素によるものです。二酸化炭素は気体ですので、温度が低いほど液体によく溶けますが、温度が上がると溶けにくくなり、ガスとなって出て行きます。シャンパンは氷などでよく冷やして飲みたいものです。
ブランデー
ブランデーはフランスではオ・ド・ビー(eau de vie)すなわち生命の水とよばれています。17世紀中頃に、フランスのシャラント地方でブドウ酒が過剰に生産されたため、余剰ブドウ酒を蒸留し(酒の蒸留技術は12世紀頃進歩し、「燃える水」アルコールが得られています)、樽に詰めて熟成させたのが始まりです。コニャックやアルマニャックが有名ですが、これはシャラント地方のコニャック市やアルマニャック地方でブランデーが生産されたことによります。日本でもよく知られているブランデー製造業者はヘネシー、マルテル、クールボアジエの3社であり、いずれも150年以上の歴史があります。特にヘネシーは1765年に創業し、250年の歴史を誇っています。樽の中での熟成期間により様々なグレードのものがあり、例えばヘネシーのVSOP(very superior old pale)は30年以上、XOは50年以上、エキストラは70年以上の貯蔵となっているようです。また、各ブランデー業者がつくるナポレオンは、100年以上貯蔵した最高級のブランデーであるといえます。
ビール
紀元前5,000年頃に、現在のイラク北部のシュメールやアッシリア地方でビールを造っていたという記録があるようです。ご存知のようにこの地方はメソポタミア文明の発祥の地であり、この文明は麦の栽培で誕生しました。麦の栽培法とビールの醸造法が、紀元前3,000年頃の古代バビロニアの楔形文字の記録に残っているそうです。
現在のビールの造り方は、大まかに次の工程からなります。
①原料の大麦を発芽させて麦芽(モルトmalt)をつくり、これを乾燥させたのちに粉にします。
②この粉に水を加えて反応させると、麦芽に生成されたアミラーゼという酵素により麦に含まれているデンプンが分解されて麦芽糖(マルトースmaltose)という二糖ができます。この過程を糖化といい、できた麦汁(ウオルトwortとよばれます)には至福の甘味があります。
③次に麦汁にホップを加えて煮沸します。この工程でホップからイソα酸(別名イソフムロン)という苦味(クミ)成分が溶解してきます。また、麦汁に混在している微生物は死滅し、アミラーゼなどの酵素は活性がなくなります。
④最後に酵母を加えて発酵させると、麦芽糖がブドウ糖になり、さらにエタノールと二酸化炭素が生成されます。
ビールには7,000年もの歴史があるのですが、ビールに苦みと香りを与えるホップ(雌雄異株です)は8世紀頃ドイツで栽培され始めたといわれています。そして、1516年にドイツ南部のバイエルンの王であったウイルヘルム4世により「ビール純粋令」という有名な法律が出され、この法律は現在もドイツで守られています。ビール純粋令とは「ビールは大麦、ホップ、酵母と水だけを使って醸造せよ」というもので、世界初の食品・飲料の法律といわれています。ホップの雌花は楕円形の松かさ状の房になりますが、ビール造りにはこれを使います。ホップ由来のビールの苦味成分イソα酸にはアルツハイマー病予防効果のあることが見出されています。
ビールの材料は大麦から造る麦芽が基本ですが、これに米やトウモロコシのデンプンを加えて造られるビールもあります。大麦麦芽百パーセントのビールはモルトビールとよばれ、これが本物のビールということになります。大麦麦芽に小麦麦芽を配合して(麦芽全体の50〜70%程度)造られるビールもあります。これはヴァイツェンビール(ヴァイツェンweizenとはドイツ語で小麦という意味です)とよばれ、フルーティーな香りと味わいがあります。
通常の淡色ビール(淡い黄金色をしています)造りには80℃くらいで乾燥した淡色麦芽を用います。この程度の温度では麦芽のアミラーゼは酵素活性を失わず、デンプンを糖化できるからです。乾燥麦芽を120〜200℃くらいの高温で焙煎すると、温度に応じて茶褐色や黒色の濃色麦芽(チョコレート麦芽やブラック麦芽など)が得られます。濃色麦芽の色は、主に糖とアミノ酸のメイラード反応で生成するメラノイジンという褐色色素によります。濃色麦芽は高温で焙煎されるためアミラーゼが酵素活性を失っているのでデンプンを糖化することはできませんが、これを淡色麦芽に少量(麦芽全体の1〜10%程度)混ぜることにより、ビールに様々な色や香りをもたせることができます。このように黒ビールなどの濃色ビールの色や香りは、主に濃色麦芽に由来します。
ビールの泡は、「シャンパン」のところで説明したように、アルコール発酵の途中で生成される二酸化炭素によるものです。ただし、ビールの泡はシャンパンの泡とは違い、長持ちします。これは麦芽に由来する起泡タンパク質とホップに由来するイソα酸が形成する膜が炭酸ガスを包み込んでいるからだと考えられています。ビールも温度が上がると溶けている二酸化炭素が気体となって出て行きますので、冷えているうちに飲みたいものです。
ウイスキー
ウイスキーは大麦やトウモロコシなどのデンプンを麦芽のアミラーゼで糖化し、これを発酵させ蒸留したものを木製の樽に詰め、数年以上熟成させたものです。ここでは日本人に馴染みの深いスコッチウイスキーの作り方を紹介したいと思います。ウイスキーもビールと同様に大麦を原料として、発芽させて麦芽を造るところまでは似た工程をたどります。その後、ピート(泥炭)を直火で炊き、麦芽の酵素が壊れないように50〜80℃の適温を保ちながら麦芽を乾燥(燻煙)しますが、この時ウイスキー特有のスモーキーフレーバー(煙臭)が生まれます。麦芽を粉にして水を加えると麦のデンプンがアミラーゼにより糖化されます。その後、酵母を加えてアルコール発酵させるとビールと似たものができます。これを蒸留釜で蒸留するとウイスキーの原酒ができ、麦芽を乾燥する時に用いたピートの煙臭さも原酒に移行します。最後に、この原酒をオーク材の樽に入れて、長い眠りにつかせます。通常、5〜30年ほど熟成させますが、その間に無色透明な原酒に樽から色と香味成分が溶け込み、琥珀色で独特の香味をもつウイスキーが育っていくのです。
著者はスコットランド最古と謳われているグレンタレット蒸留所(1775年創業)を見学する機会にめぐまれたことがあります。その時に「ウイスキーキャット」(ネズミなどの害獣からウイスキーの原料である大麦を守るために蒸留所で飼われる猫)として有名なタウザー(Towser: 1963年4月21日生れ、1987年3月20日没)の銅像をカメラに収める幸運を得ました(写真3-1)。彼女はおよそ24年の生涯に(人間の年齢に換算すると161歳だそうです)、28,899匹のネズミを捕獲したということで、ギネスブックに記録されています。著者はそのような幸せな生涯を送った猫ちゃんに思いを馳せながら、心温まる時を過ごしたことを今も忘れることができません。
1923年(大正12年)に、日本で最初にウイスキー造りを手掛けたのはサントリーです。その時、スコットランドでウイスキー造りのノウハウを学んで帰国し、実際に製造の陣頭指揮をとったのは竹鶴政孝であり、彼は日本のウイスキーの父とよばれています。後に竹鶴氏はサントリーを離れ、北海道余市でニッカウイスキーを創設しています(写真3-2)。
プルケとテキーラ
アメリカ南西部(アリゾナ州やニューメキシコ州)からメキシコ、メソアメリカにかけてリュウゼツラン(竜舌蘭、別名:アガべ、英名:agave、写真3-3)という多肉質の葉をもつ植物が自生しています。リュウゼツランはキジカクシ目キジカクシ科リュウゼツラン属(Agave:学名のままアガベ属ともよばれます)に属し、ナデシコ目サボテン科のサボテンとは近縁ではありません。形状がアロエに似ていますが、アロエはキジカクシ目ススキノキ科に属しています。また、ランという名前が付されていますが、蘭はキジカクシ目ラン科の植物ですので、これとも異なります。リュウゼツランは100年に一度花を咲かせることからcentury plantともよばれています。
リュウゼツランの太い茎の部分をくりぬいて穴を掘ると、そこに篩管を転流するショ糖やフルクトオリゴ糖(ケストース、ネオケストース、ニストースなど)を含む甘い液が溜まります。この樹液はアグアミエルaguamiel(蜜水という意味があります)とよばれ、メキシコで広く愛飲されています。
リュウゼツランには200種以上ありますが、そのうちの主にAgave atrovirensやAgave salmianaという種から得られるアグアミエルを発酵させて造る醸造酒が、メキシコの伝統的なお酒プルケpulqueです。プルケは乳白色で粘り気があり、アルコール度数は4%程度です。西暦200年頃のチョルーラ遺跡やテオティワカン遺跡の壁画にプルケを飲む人々が描かれており、2,000年程前から飲まれているようです。
リュウゼツランの太い茎の部位にはフルクタンというフルクトース(果糖)からなる多糖が高濃度(25〜30%)に含まれています。葉を取り除いた茎の部分はパイナップルに似ていることからピーニャpiñaとよばれ(ピーニャはスペイン語でパイナップルのことです)、重さは30〜50 kgもあります。メキシコの有名なお酒であるテキーラtequilaは、このピーニャから造られる蒸留酒です。収穫したピーニャをボイラーのスチームで30時間程加熱すると、ピーニャに含まれているフルクタンが加水分解され、果糖や少量のブドウ糖に変わります。続いて、蒸したピーニャから糖分を抽出し、酵母を加えてアルコール度数が7%程度になるまで発酵させます。発酵液を最低2回蒸留するとアルコール度数が40〜50%程度の蒸溜酒テキーラができます。テキーラのほとんどは樽で熟成されることなく(これをブランコblancoといいます)飲まれるようです。樽で寝かせたものは、レポサードreposado(2ヶ月〜1年未満熟成)、アニェーホañejo(1年以上熟成)、エクストラ・アニェーホextra añejo(3年程熟成)とよばれ、熟成期間が長くなるにつれて香りと琥珀色が強くなります。リュウゼツランの一種であるアガベ・テキラーナAgave tequilana(ブルーアガベとよばれています)のピーニャのみを原材料とし、ハリスコ州のテキーラ市とその周辺地域の蒸留所で生産され、テキーラ規制委員会の基準を満たすもののみがテキーラと称することを許されています。
メキシコではアガベ・テキラーナの他にAgave angustifolia、Agave esperrima、Agave potatorum、Agave salmiana、Agave weberiなどのピーニャを主原料とした蒸留酒も造られており、これらのアガベから造られる蒸留酒は一般にメスカルmezcalとよばれています。従って、テキーラはメスカルの一種です。
日本酒
ワインはブドウの実に含まれるブドウ糖を酵母で直接発酵させて造る点でビールや日本酒(清酒)の製造法と異なります。ビールは大麦の、日本酒は米のデンプンを原料とするため、酵母で直接発酵させることはできません。なぜなら、酵母はデンプンを分解できないからです。そこで、先に説明したように、ビールは大麦のデンプンを麦芽のアミラーゼで糖化させた後に、酵母を加え発酵させて造ります。しかしながら、日本酒の場合は麦芽ではなく精米を用いるためアミラーゼは生成されません。その代わりにカビの一種である麹を用い、麹の産生するアミラーゼでデンプンを糖化させます。また、麹と酵母を共存させるので、糖化と発酵が同時に進行する点が日本酒造りの特徴です。本書は日本酒作りの詳細を述べるのが目的ではありませんので、原理のみを簡単に説明していこうと思います。
先ず、酒米という酒造りに適した米を原料として用います。酒米には多くの品種がありますが、山田錦、五百万石、美山錦、出羽燦々、雄町が有名な酒米トップ5として挙げられるようです。酒造りの第一段階では、玄米を30〜50%程度削り精米します。これを精米歩合70〜50%と表します。本醸造酒の場合だと精米歩合70%以下、吟醸酒だと60%以下、大吟醸酒は50%以下のものを使うとされています。山口県で製造されている獺祭(ダッサイ)23という純米大吟醸酒は精米歩合23%のものを使うと謳われており、精米するだけで7日も要するようです。精米により主に玄米の表層部に存在し、お酒の苦みや雑味の原因となるタンパク質や脂肪を取除きます。
精米の次は、お米を蒸し、これに米麹と酵母ならびに乳酸菌を加えて、酒母を造ります。このとき、乳酸菌から生成される乳酸が酒母に混入する雑菌を殺してくれます。乳酸菌の代わりに、直接乳酸を加えて酒母を造る方法もあります。続いて、タンクに蒸し米、酒母、米麹、水を入れて醪(モロミ)を造ります。この醪の中で糖化と発酵が並行して進行し、アルコールが生成されます。醪造りは3回に分けて蒸し米と米麹を加えるので、三段仕込みとよばれています。1回目を初添え、2回目を仲添え、3回目を留添えといい、留添えから20〜30日間ほど発酵させます。一度に全量を入れてしまうと酵母がうまく増殖せず、発酵が十分進まないため、三段仕込みが行われています。
熟成が終了した醪は搾りという工程に移され、酒と酒粕に分けられます。搾りたての酒には酵母やデンプン粒子などの滓(オリ)とよばれる濁りがあるので、これを沈殿除去させるために滓引きという作業を行います。通常さらに濾過を行い、細かい滓を取り除きます。次いで、火入れという60〜65℃程度での殺菌処理を行います。これは濾過したお酒にまだ残っている酵母や乳酸菌などを殺菌し、また、麹由来の酵素を失活させて酒質を安定化する目的があります。火入れを行った酒は貯蔵タンクに入れて熟成させたのち、2回目の滓引き、濾過、火入れが行われます。そして、いよいよビン詰めされ製品となります。このように長い工程を経て、お酒は私たちの五臓六腑に届けられるわけです。
酒母造りにおける乳酸菌の添加、三段仕込み、そして火入れの技法は室町時代に書かれた「御酒之日記」に記録として残されており、いにしえに確立された高度な酒造技術が現在の日本酒造りに脈々と受け継がれていることがうかがえます。
日本酒(清酒)は普通酒と特定名称酒に分類されます。普通酒は特定名称酒以外の清酒をさし、清酒の7割のシェアを占めるそうです。特定名称酒は白米の重量に対する麹米の重量の割合が15%以上のものに限られます。そして、特定名称酒は原料と精米歩合等により、本醸造酒、特別本醸造酒、純米酒、特別純米酒、吟醸酒、純米吟醸酒、大吟醸酒ならびに純米大吟醸酒の8つに分類されます(写真3-4)。このうち純米と名がつく酒は米と米麹のみを原料に用いると定められています。本醸造酒および吟醸酒、大吟醸酒も米と米麹を原料としますが、さらに醸造アルコールを添加できます。その量は白米の重量の10%以下に制限されています。醸造アルコールとはトウモロコシやサトウキビなどを発酵させ、蒸留して得られるエタノールのことです。10%を越える醸造アルコールを添加したものや、糖類やアミノ酸などを添加したものは普通酒となります。吟醸酒は玄米を40%以上、また、大吟醸酒は玄米を50%以上削って雑味成分を取り除き、低温で長期間発酵させるため、フルーティーな吟醸香をもつことが大きな特徴です。
日本酒の甘口、辛口は日本酒度で表され、これがプラス(+)だと辛口、マイナス(−)だと甘口となります。お酒に含まれる糖分が多いと日本酒度はマイナスになり、少ないとプラスになります。
みりん
みりん(味醂)は日本料理になくてはならない調味料であり、モチ米を主原料とします。作り方は、蒸したモチ米に米麹を混ぜ、これに14%程度のアルコール(焼酎または醸造アルコール)を加えて2ヶ月ほど熟成します。熟成の間に、麹カビの産生するアミラーゼの作用で、モチ米のデンプンが分解されて糖化されます。糖質(炭水化物)含量は40〜50%と高く、強い甘味があります。これは熟成開始時からアルコール濃度が高いので、混入した酵母菌によるアルコール発酵が抑えられ、高い糖質含量が保たれることによります。
みりんにはビールや日本酒など一般のアルコール飲料と同じように、酒税法により酒税がかけられており、一般酒類小売業免許がないと扱うことができません。
焼酎
焼酎は米、麦、そば、芋、栗、ジャガイモなどを材料に用い、これらの穀類、芋類などに含まれているデンプンを米麹や麦麹で糖化し、酵母でアルコール発酵後、蒸留して造られます。材料名を焼酎に冠して米焼酎、麦焼酎、そば焼酎、芋焼酎、栗焼酎、ジャガイモ焼酎などとよばれています。歴史的には16世紀の戦国時代に我が国に蒸留技術が伝わったことにより焼酎が造られるようになりました。古来の焼酎で現在の酒税法上「焼酎乙類」に区分されているものは、基本的に1回のみの蒸留であるため「単式蒸留焼酎」とよばれており、原料のもつ香味成分もアルコールと一緒に蒸留され、それぞれの焼酎の特徴が生まれます。
一方、発酵液を連続式蒸留器で何度も蒸留して得られる高純度のエタノールに水を加えたものは、「焼酎甲類」に区分され、「連続式蒸留焼酎」とよばれています。これは原料の特徴的香味が失われますが、低コストで大量に生産されるので、チューハイや梅酒造りなどに用いられています。
そのほかのお酒
以上述べてきたお酒以外にも、まだまだ沢山の種類のお酒が世界にはありますので、それらを簡単に紹介していきます。
バーボン: 原料の数種の穀類のうちトウモロコシを51%以上使用して造るウイスキーのことであり、アメリカ合衆国ケンタッキー州のバーボン郡で最初に造られたことから、この名が付けられました。
ウォッカ: 穀類やイモを原料とする無色の蒸留酒で、ロシアの国民酒です。
シードル(リンゴ酒): リンゴの絞り汁に酵母を加えて発酵させた発泡酒です。リンゴの産地青森の津軽で造られるようになり、アルコール度数がビールより低く、さわやかな飲みくちで、若い女性に人気が広がっています。
カルバトス(アップルブランデー): リンゴ酒を蒸留し、樽で熟成したものです。
ジン: 蒸留釜の上部にジュニパー(杜松ネズマツ)やレモン皮その他の香料の実を置き、高い度数のアルコールを流して造られます。ウイスキーやブランデーのように樽の中で熟成されることはありません。
ラム酒: サトウキビの絞り汁を発酵・蒸留し、樽で熟成させたものです。
レモンチェロ: レモンの皮を蒸留アルコールに浸して皮に含まれているエキスを抽出した後に皮を取り除いたもので、イタリアの南部地方の特産品です。
チチャ: 南米アンデス地方でトウモロコシを発酵させて造るお酒で、インカ帝国の政(マツリゴト)において一翼を担っていたといわれています。特に、ペルーやボリビアでは有名なお酒です。
食酢
食酢(あるいはただ単に酢ともよばれます)は洋の東西を問わずよく利用される調味料であり、酢酸を4〜5%程度含みます。食酢の説明を「酒の巻」に含めるには馴染まないかも知れませんが、歴史的にはお酒との関連性が深いため、ここで紹介します。
酢はフランス語ではvinaigreといい、語源的にはvin(ワイン)とaigre(酸っぱい)からできており、文字通り「酸っぱいワイン」ということになります。英語ではvinegarヴィネガーとなります。化学的にはワインに含まれているエチルアルコールが、酢酸菌により酸化されてアセトアルデヒドを経て酢酸ができます。これを「酢酸発酵」といいます。ワインの歴史は非常に古いので、酢が造られたのも当然古く、紀元前5,000年頃のバビロニアに記録があるようです。
現在、日本で利用されている食酢のほとんどは醸造酢であり、日本農林規格JASでは穀物酢と果実酢に大別されています。穀物酢の米酢の場合は、米に麹と酵母を加えてアルコール発酵させ、次いで酢酸菌をたして酢酸発酵させて造ります。果実酢のリンゴ酢やブドウ酢(ワインヴィネガー)の場合は、リンゴやブドウの搾り汁(ブドウ糖や果糖、ショ糖が含まれています)をまず酵母でアルコール発酵させ、続いて酢酸菌で酢酸発酵させます。
参考文献
吉原達也・笹栗俊之 「ALDH2遺伝子多型と臨床医学」 福岡医誌 103: 82-90, 2012
橘 勝士 「グルジアのワインと文化」 醸協 95: 651-657, 2000
渡 淳二監修 サッポロビール価値創造フロンティア研究所編 「ビールの科学」 講談社ブルーバックス 2009
吉田芳二郎 「洋酒入門」 保育社 1968
日本伝統文化スタイル 「日本酒の伝統文化」 (http://j-tradition.com/sake)
農林水産省 「醸造酢の日本農林規格」 (http://www.maff.go.jp/j/kokuji_tuti/kokuji/pdf/k0000994.pdf)