枕石漱流

第2章 十和田湖の成り立ち

はじめに

 十和田湖は十和田火山の噴火にともなって生じた陥没カルデラに水が溜まってできたカルデラ湖です。十和田火山の活動は先カルデラ期(約22~6.1万年前)、カルデラ形成期(約6.1~1.5万年前)、および後カルデラ期(約1.5万年前~現在)の3つの活動期に区分されています。

1.先カルデラ期

 十和田火山は約22万年前から活動を開始したと考えられており、十和田火山の先カルデラ期噴出物として十和田カルデラ北壁の御鼻部山(標高1,011m、写真2-1-1)付近に分布する御鼻部山溶岩、カルデラ南西壁付近に分布する発荷溶岩・火砕物、ならびにカルデラ北東壁付近に分布する青橅山(写真2-1-2)火砕物・溶岩が認められます。御鼻部山溶岩は約20万年前に、発荷溶岩・火砕物は約9万年前に、そして青橅山火砕物・溶岩は約12~7万年前に噴出したと推定されています。

写真2-1-1 青橅山から見る御鼻部山(右手奥)と十和田湖
写真2-1-2 宇樽部から見る青橅山(右手遠方に子ノ口の白い建物が見え、その後方に青橅山が見えます)

2.カルデラ形成期

 カルデラ形成噴火は約6万1千年前から起こったと考えられています。約6万1千年前の十和田奥瀬火砕流(噴火エピソードQ:噴出マグマ100億トン)、約3万6千年前の十和田大不動(おおふどう)火砕流(噴火エピソードN:噴出マグマ500億トン)、約1万5千年前の十和田八戸火砕流(噴火エピソードL:噴出マグマ量500億トン)の3つの大規模火砕流噴火により直径11kmのカルデラ(第一カルデラ)が形成されました。但し、噴火エピソードNによりカルデラは既に存在し、水を湛えた初期の十和田湖が形成されていたと考えられています。

 十和田火山の噴火エピソードとは西暦915年8月17日に起きた最も新しい噴火(十和田毛馬内火砕流)を噴火エピソードAとし、過去に遡るに従ってB、C、D・・・とアルファベットで命名したものです。噴火エピソードAは日本の有史以降最大の噴火(噴出マグマ50億トン)といわれており、1783年8月5日に起きた浅間山の天明大噴火(7億トン)や1991年6月3日に起きた雲仙普賢岳の平成大噴火(4億トン)より桁違いに大きいことが分かります。十和田火山の噴火エピソードLとNはAより10倍も噴火規模が大きく、火砕流は十和田湖から50kmまでの地表を隈無く焦土と化したと考えられています。実際、青森市の市街地の地下には十和田大不動火砕流と八戸火砕流の堆積物があります。

3.十和田湖決壊

 十和田八戸火砕流堆積物により、十和田湖からの流出河川である初期の奥入瀬渓流がせき止められました。その後、カルデラ湖の水位が徐々に上昇し、湖水は渓流の火砕流堆積物の上を越流し始め、約1万5千年~1万2千年前のどこかで遂にせき止め部分が決壊しました。この時期は地球史的には最終氷期の末期に相当し、日本史的には縄文時代草創期に相当します。

 十和田湖の決壊により巨大洪水が発生し、現在の奥入瀬渓谷が形成されました。奥入瀬渓谷周囲の地盤は、第1章で述べた八甲田カルデラを形成した大規模火砕流噴火の堆積物でできています。この堆積物は非常に硬い溶結凝灰岩とよばれ、整然とした柱状節理や板状節理を形成しています。溶結凝灰岩とは、火山噴火により放出された火砕流が、高温(600℃以上)を維持したまま火山の周囲に堆積し、噴出物のもつ熱と重量によりその一部が溶融し圧縮されてできる凝灰岩の一種です。巨大洪水はこの溶結凝灰岩を破壊し、現在のU字型の奥入瀬渓谷ができました。渓谷の両壁には垂直にえぐられた柱状節理(写真2-3-1)や板状節理(写真2-3-22-3-3)が見られます。

 十和田湖の子ノ口から9km程下った奥入瀬渓谷に石ケ戸という場所があります。石ケ戸とは岩屋という意味で、そこには二本の桂の大木に支えられた厚さ1m、長さ10mの板状節理由来の巨大な石が横たわっています(写真2-3-4)。これは洪水で流されてきた巨石のそばで桂の種子が発芽し、幹が成長するに伴って巨石を持ち上げた結果だと推察されます。

 破壊された溶結凝灰岩を含む大量の土石流は、奥入瀬川中流域に三本木扇状地(幅7km、長さ17km、面積約50km)を形成しました。扇状地は奥入瀬川の右岸側では奥瀬田茂木付近から沢田、切田を経て藤島上平辺りまで、左岸側では三本木原台地(第5章奥入瀬川水系の疏水「1.三本木原台地」を参照)の三本木中掫(ちゅうせり)付近から北は深持の砂土路川や洞内の樋口川の上流付近まで、東は六戸町折茂付近まで広がっています。

写真2-3-1 柱状節理
写真2-3-2 板状節理
写真2-3-3 「九段の滝」に見られる板状節理
写真2-3-4 石ケ戸

4.後カルデラ期

 噴火エピソードL後の十和田火山の噴火活動は後カルデラ期活動とよばれています。約1万5千年から1万2千年前に現在の中湖(なかのうみ)の位置で噴火エピソードH-Kが発生し、成層火山である五色岩(ごしきいわ)火山が形成されました。

 約1万1千年前の噴火エピソードG以降、五色岩火山の噴火は火砕流噴火に変わり、中心火口が浸食されて拡大するようになりました(第二カルデラの形成)。縄文時代前期の約6千100年前に起きた噴火エピソードC(十和田中掫火砕流)は、噴出マグマ70億トンの大噴火で、このとき五色岩火山の北側火口壁が崩落し、第一カルデラの湖水が火口に流入しました。このようにして中湖ができたと考えられています(写真2-4-12-4-2)。十和田湖は二重カルデラ湖で、中湖の最大水深は326.8mと非常に深くなっていますが、外湖(そとのうみ)の水深は50-100m程度です。十和田湖は田沢湖、支笏湖に次いで日本で3番目に深い湖です(田沢湖と支笏湖もカルデラ湖です)。中湖の西側の中山半島と東側の御倉半島は、第二カルデラの火口壁(内輪山)が残ったものです。御倉半島の先端部には御倉山溶岩ドーム(直径約1.5km、比高約300m、写真2-4-3)がありますが、これは上述した噴火エピソードCより前の噴火エピソードD′(約7千500年前)で形成されたと考えられています。

 十和田湖は、青森県と秋田県に跨がっており、湖面は青森県6:秋田県4の割合で県境が画定されています。神田川は、奥瀬十和田湖畔休屋を流れ、十和田湖に流入する河川で、その河口が県境とされています(写真2-4-4)。

写真2-4-1 十和田湖中湖(中山半島(左)と御倉半島(右)の先端部が見えます(瞰湖台からの眺望))
写真2-4-2 御鼻部山展望台から見る十和田湖
写真2-4-3 御倉山溶岩ドーム(左手前は宇樽部キャンプ場)
写真2-4-4 神田川河口の県境

5.十和田湖のヒメマス

 十和田湖はカルデラ湖であり、唯一の流出河川である奥入瀬川には、流出口「子ノ口」から1.5km程下流に高さ7mの銚子大滝(第3章十和田市を流れる河川「1.奥入瀬川水系」写真3-1-4を参照)があるため、魚の遡上が困難です。そのため、魚が人の手により放流される前に生息していた魚介類はサワガニだけと考えられています。現在、ヒメマス、ニジマス、サクラマス(ヤマメ)、イワナ、コイ、フナ、ウナギ、ワカサギなどの魚類や、スジエビ、サワガニなどの甲殻類の生息が確認されていますが、サワガニ以外の魚介類は全て人為的に放流されたものです。

 ヒメマス(姫鱒)はベニザケ(紅鮭)の陸封型で、日本では北海道東部の阿寒湖と網走川水系のチミケップ湖に自然分布しています。ヒメマスの移植は、1894年(明治27年)に阿寒湖から支笏湖へ種卵が導入されたのが最初です。十和田湖へは1902年(明治35年)に和井内貞行らにより支笏湖から種卵が導入され、翌年放流されました。現在、ヒメマスは十和田湖の名物料理になっています。

6.巨大洪水により運ばれた巨礫

 今から1万5千年~1万2千年前に十和田湖の決壊により巨大洪水が発生し、現在の奥入瀬渓谷が形成されたことを先に述べました。この巨大洪水により破壊された溶結凝灰岩は、奥入瀬渓谷内にも多数見られ、先に述べた石ケ戸の巨大な石(写真2-3-4)は、その一例です。破壊された凝灰岩は、奥入瀬渓谷内および渓谷から更に遠方に流される間に円摩され、丸みを帯びていきます。巨大洪水により運ばれた径数mの巨礫が、焼山から20km以上離れた沢田や相坂の低位段丘面上(写真2-6-12-6-2)、奥入瀬川河床(写真2-6-3)などに多数見られます。また、三本木扇状地の開墾により掘り出された巨礫が至る所に放置されています(写真2-6-4ならびに第5章奥入瀬川水系の疏水「4.5 一本木沢用水路」写真5-4-5-2を参照)。これらの巨礫を見るにつれ、十和田市の縄文以来の歴史にふれ、自然遺産に恵まれている喜びを感じることができます。

写真2-6-1 沢田蒼前平の市の名水「キッコイジャの水」のそばにある巨礫
写真2-6-2 相坂白上の稲荷神社そばにある巨礫
写真2-6-3 奥入瀬川河床の巨礫群(国道102号線広瀬橋より500m程上流)
写真2-6-4 赤沼下平に放置されている巨礫

7.モニュメント・オブジェとして利用されている巨礫

 円摩された巨礫は、ただ放置されているだけでなく、十和田市の歴史の象徴として様々な場所で、モニュメントあるいはオブジェとして利用されています(写真2-7-14)。

 写真に示したもの以外にも、庭の石垣などへの巨礫の利用はありますが、著者の知るかぎり多くはないと思います。十和田市で起きた縄文草創期の一大自然事象に思いをはせ、後世に語り継ぐ意味においても、市内のあちらこちらに、もう少し巨礫(小さくてもいいです)のモニュメントやオブジェが見られてもいいかなと思います。

写真2-7-1 御幸橋由来の碑として利用されている巨礫
写真2-7-2 沢田川原地区ほ場整備記念碑として利用されている巨礫
写真2-7-3 北里大学獣医学部庭園の池に浮かぶ巨礫
写真2-7-4 ファーマーズ・マーケット「かだぁーれ」に置かれている巨礫

参考文献

工藤 崇 「十和田火山、先カルデラ期溶岩のK-Ar年代」 地質調査研究報告 67:209-215, 2016

山崎晴雄・久保純子 「日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語」 講談社ブルーバックス 2017

工藤 崇 「十和田火山、御倉山溶岩ドームの形成時期と噴火推移」 火山 55:89-107, 2010

早川由紀夫・小山真人 「日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火の年月日―十和田湖と白頭山―」 火山 43:403-407, 1998

片岡香子 「三本木扇状地(十和田段丘)と奥入瀬渓流の形成に関する一考察」 青森地学 55:12-15, 2010

片岡香子 「十和田湖からの大噴火と大洪水-奥入瀬渓流と三本木扇状地はなぜできた?」 歴史と文化 歴史フォーラム第2号 pp.30-43 十和田歴史文化研究会 2019

産業技術総合研究所地質調査総合センター(編) 2022 「日本の火山 大規模噴火データベース 十和田カルデラ」(https://gbank.gsj.jp/volcano/ledb/go.php?volc=Towada

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